2026.05.01
『遠野郷地頭阿曾沼氏傳記』概要
「阿曽沼公歴代の碑」を建立する記念事業として出版された非売品。 なかでも、遠野を追われた広長の後半生とその子孫たちについての記述が貴重。
書誌情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 遠野郷地頭阿曾沼氏傳記 |
| 著作兼発行者 | 遠野史跡調査会(上閉伊郡遠野町15地割25番地/主たる調査者: 山屋長次郎) |
| 序文 | 栗城 氏家時(戦災疎開で遠野に仮寓した在野研究者) |
| 緒言 | 編者(遠野史跡調査会) |
| 発行 | 昭和27年(1952)6月 |
| 発行所 | 阿曽沼氏墓碑建設後援会(上閉伊郡遠野町15地割25番地/著作兼発行者と同所在地) |
| 印刷人 | 川村金弥(釜石市山神町) |
| 頒布 | 非売品 |
| 体裁 | 全80ページ(うちp.6白紙)+巻末手書き書込みページ |
| 引用書目 | 阿曽沼興廃記・上閉伊郡志・岩手県之町村・南部家文書 |
| 現所蔵本来歴 | 昭和39年に正一喜平氏(賛助者・遠野高等学校教官)より寄贈された旨の手書き献辞あり |
本書の概要
本書は、岩手県遠野地方を建保年間(1213-1219)から慶長5年(1600)まで約400年にわたって統治した阿曽沼氏14代の事歴をまとめた郷土史研究書である。山屋長次郎が数十年をかけて文献渉猟と子孫への聞き取り調査を行い、その成果を1冊にまとめたもので、松崎村光興寺の金塚に阿曽沼家累代の記念碑を建立する事業と連動して刊行された。
阿曽沼氏とは
阿曽沼氏は藤原秀郷の末裔を称する武家で、源頼朝の奥州征伐(文治5年、1189)に従軍した阿曽沼廣綱が恩賞として陸奥国閉伊郡遠野三郷を賜ったことに始まる。廣綱自身は下野国(栃木県)の本領に留まり、次子・親綱(又次郎)を遠野に下向させた。親綱が横田城を築いて以降、阿曽沼氏は14代にわたり「遠野殿」と称されて当地を領した。
構成と内容
前付け
- 表紙: 三つ巴紋(2点)と五弁花紋(1点)の家紋を配す
- 正誤表: 7件の誤植訂正
- 図版: 阿曽沼磨氏所蔵の曼陀羅写し、上閉伊郡城址地図、新設墓碑設計図
序文(氏家時)
戦災疎開で遠野に仮寓した著者が、遠野の文化的起源に関心を持ち、七観音の縁起から阿曽沼時代の研究の重要性を説く。山屋長次郎の数十年にわたる研究努力を称え、冊子の刊行と墓碑建立の意義を述べる。
緒言(編者)
遠野郷の文化の起源が嘉祥年間の慈覚大師の法弟による七観音寺の開基に遡ること、阿曽沼氏14代の「阿曽沼文化」の研究が必要であること、そして松崎村光興寺の金塚に累代の墳墓を発見したため記念碑を建立する旨を記す。
阿曽沼氏累系(系図)
藤原秀郷→千常→公條→兼光(足利氏を称す)→……→有綱→廣綱→親綱(遠野氏の祖)から、14代廣長および分家の鱒沢氏・上野丹波に至る系譜。
阿曽沼氏累代事歴(本書の中核)
| 代 | 当主 | 通称 | 主な事跡 |
|---|---|---|---|
| — | 廣綱 | 四郎 | 頼朝奥州征伐に従軍。遠野三郷を拝領。次子親綱を遠野に下向させる |
| 初代 | 親綱 | 又次郎 | 建保年間に遠野に来住。横田城(松崎村光興寺)を築く。遠野氏の祖 |
| 2代 | 公綱 | 小太郎 | — |
| 3代 | 公淵 | 四郎 | 南朝に仕え下野守に任じられる |
| 4代 | 氏綱 | 彌太郎 | — |
| 5代 | 朝綱 | 權太郎 | 北畠顯家に従い鎌倉を攻略。加茂神社・八幡宮を勧請 |
| 6代 | 朝兼 | — | 老臣面懸左衛門の専横を國代南部師行に訴え、誅罰を得る。遠野町民の自治的請願(市の警固・湯屋・神明宮・薬師堂)が記録される |
| 7代 | 弘綱 | — | 新田義宗の挙兵に呼応するも敗報を聞き撤退 |
| 8代 | 秀氏 | 太郎 | 気仙浜田城主千葉氏の臣・岳波太郎等の跋扈を討伐。大槌城攻囲戦で守行が戦死 |
| 9代 | 光綱 | 三河守 | 葛西氏の侵攻を綾織村谷地舘で撃退 |
| 10代 | 守親 | 左馬頭 | 弟・守綱を分家させ鱒沢村に封ず(鱒沢氏の起源) |
| 11代 | 親郷 | 又二郎 | 信濃出陣中に諏訪明神の夢告で蜈蚣を退治。神刀を授かる(阿曽沼家の起源伝承)。木瓜紋の由来 |
| 12代 | 親広 | 孫太郎 | 大崎氏との合戦。葛西晴衡の書状が残る |
| 13代 | 広郷 | 孫次郎 | 信長に白鷹を献上し返書を得る。横田城を鍋倉山に移築。秀吉への不臣を蒲生氏郷が取りなす |
| 14代 | 廣長 | 孫三郎 | 鱒沢広勝との確執。慶長5年の謀反で遠野を追われ、3度の境目合戦に敗北。阿曽沼氏滅亡 |
附記
- 上野丹波広吉の事歴: 廣長の弟。鱒沢広勝に与して裏切り、南部利直に属して城代家老となるが、晩年に首に難腫ができて死亡(因果応報的な叙述)
附録: 阿曽沼時代の城址および舘址(全29箇所)
鍋倉城址から城山舘まで、遠野郷内外に配された城舘の所在地・築城者・居住者を一覧。阿曽沼氏が360余年にわたり家臣を各地に配置して統治した体制を示す。
附録: 境目合戦址(4箇所)
慶長5〜6年の阿曽沼廣長による遠野奪還の3度の戦い。平田峠・赤羽根峠・五輪峠・梓坂峠の各戦場を記す。
附録: 遠野孫三郎後日物語・金塚の由来(本書の独自性が最も高い部分)
昭和27年7月28日、山屋長次郎・伊藤日瑞師・舛谷藤五郎の3名が胆沢郡前沢町を訪問し、阿曽沼氏の後裔・阿曽沼磨氏(医師)に面会して行った調査記録である。磨氏の家に伝来する家系および古文書10数巻を閲覧・調査した内容が記されており、他の文献には見られない本書固有の情報を多く含む。
この聞き取りから得られた独自情報は以下のとおりである。
- 廣長没落後の足取り: 慶長5年に遠野を追われた廣長は気仙郡世田米修理のもとに身を寄せ、伊達政宗の後援で3度の境目合戦を戦ったが敗北して浪人となった。慶長18年に伊達家の家臣となり玉造郡の目付番所上番役を務めたが、わずか金3両の小禄であった
- 旧臣との邂逅: 廣長が遠野旧臣の修験者・善行院(転沢村出身)と羽黒山参詣の折に偶然出会い、14代400年の領主であった身が浪人に落ちた姿を見られて赤面したという逸話。この挿話は磨氏の家伝にしか残らない
- 日蓮宗への帰依: 物心両面の苦悩を宗教的安心によって解決しようとした廣長は、江戸・甲州身延山・鎌倉を巡拝し、平賀本土寺の日慧上人のもとで長子廣朝とともに永年にわたり教化を受けた。薙髪得度して「倫廓院日能」と号した
- 寛永3年の授与品: 池上本門寺第16世日樹上人より曼陀羅1巻と錦守等3品を授与され、重代の家宝である義國の短刀とともに子孫に伝えた。この曼陀羅が現在も磨氏に伝来しており、本書巻頭のp.4にその写しが掲載されている
- 仙台での子孫の生活: 廣朝は仙台城下百騎丁に借宅し、囲碁・立花・生花の会席を立てて伊達一門の三澤宗直の知遇を得て客分となった。寛文3年(1663)没
- 金塚の確証: 磨氏は「祖父軍治氏の言い伝えとして、維新前まで先祖の人々が遠野に微行して金塚を参拝していた」と証言し、「金塚は阿曽沼家累代の墓所に相違ない」と言明した。これにより、松崎村光興寺の金塚が阿曽沼家累代の墓所であるとの確証が得られた
この聞き取り調査は、慶長5年の没落から昭和27年の訪問まで約350年間にわたる阿曽沼氏子孫の消息を伝える唯一の記録であり、文献史料では知り得ない家伝・口承を書き留めた点で、本書の史料的価値を最も高めている部分である。
謹告(賛助者)
本書末尾(p.78-79)には、本会の事業に対し賛同・援助した関係者の御芳名が掲載されている。聞き取り調査の対象本人や同行者を含み、本書の成立背景を示す重要な記録である。
- 胆沢郡前沢町・医師 阿曽沼磨氏(聞き取り調査の対象。家系および古文書10数巻・曼陀羅を所蔵)
- 磐井 黛平氏
- 気仙郡高田町 (旧姓阿曽沼)トメ子氏(本文に登場しない、もう1人の阿曽沼姓関係者)
- 遠野町智恩寺住職 伊藤日瑞氏(聞き取り調査同行者)
- 遠野町長 平野三夫氏
- 遠野町・実業家 多田德次郎氏
- 遠野町・実業家 桝谷藤五郎氏(本文の聞き取り調査同行者「舛谷藤五郎」と同人物と推定される)
- 岩手日報社員 菊池留雄氏
- 阿曽沼諏訪神社宮主
- 遠野町会議議員 及川勝穗氏
- 遠野町役場吏員 伊藤英造氏
- 遠野高等学校教官 正一喜平氏(本書の現所蔵本の寄贈者と推定される)
- 松田亀太郎氏
- 菊池義親氏
- 菊池留雄氏
附録: 廣長以降の系図
磨氏の家に伝来する古文書に基づき、廣長→廣朝→光友→光親→光朝→光良→傳左衛門→光長→光久→光綱→光盛(軍治)に至る系譜を記す。各代について室(妻)の出自、没年、葬地、職務を詳細に記録しており、以下のような変遷がたどれる:
- 浪人から客分へ: 廣朝が仙台で三澤宗直の知遇を得て客分となる
- 客分から家士へ: 光友の代に天和2年(1682)三澤氏に正式に召し抱えられる
- 前沢への定着: 貞享2年(1685)三澤宗直の前沢への所替えに御供して移住
- 藩士としての勤務: 御徒目付・御物書・山林方上役・盗賊目付役兼帯など
- 戊辰戦争: 光盛(軍治)が慶応3年に伊達軍へ出陣、秋田戦争に参加
- 明治維新後: 家士は各自生業に就くこととなり、農業のかたわら漁網商・染彩職・醤油醸造業等を営んだ。光盛は明治12年に前沢村会議員に当選
この系図もまた、磨氏の家伝にのみ残る情報であり、350年間の一族の軌跡を具体的に追うことができる稀有な記録である。
本書の史料的性格
特徴
- 郷土史家の集大成: 山屋長次郎が数十年をかけた在野研究の成果であり、古文書・遠野古事記・阿曽沼興廃記・南部家文書等の文献と、子孫への聞き取りを組み合わせている
- 子孫への聞き取りの独自性: 前沢町の阿曽沼磨氏への訪問調査により、没落後350年間の一族の消息を記録した。廣長の日蓮宗帰依、仙台での客分生活、前沢への定着、維新までの藩士としての勤務、維新後の転業など、文献史料では知り得ない家伝・口承を含む。磨氏が所蔵する古文書10数巻と曼陀羅の実見調査を伴っており、口承のみに依拠したものではない
- 一次史料の翻刻: 建武元年の國宣、遠野町民の候文の請願書、織田信長の返書、葛西晴衡の書状など、一次史料がそのまま引用されている
- 墓碑建設事業との連動: 純粋な学術書ではなく、金塚の記念碑建立という実践的目的を持った出版物である
- 非売品: 少部数刊行の限定頒布であり、本書自体が稀覯資料である
留意点
- 近代の歴史学的方法論に基づく厳密な史料批判は行われていない
- 蜈蚣退治の夢物語など伝承的・説話的な内容がそのまま事歴に組み込まれている
- 原本の印刷品質にばらつきがあり、特にp.10(序文)とp.34-35(蜈退治)はスキャンからの判読が困難な箇所が多い
- 候文の古文書(p.22-24の町民請願、p.38の晴衡書状)は断片的で完全な解読が難しい
翻刻・現代語訳について
本翻刻・現代語訳は2026年4月21日にCZURスキャナによるスキャン画像(84枚)から作成した。判読不能な文字は「●」で示し、推測による補完は一切行っていない。全体で95箇所の●があり、特にp.34-35の蜈退治の場面に集中している。
編集後記
本書の情報は、鈴木クニヒトさんからご提供いただきました。また、本書のスキャン・翻刻・概要の作成は佐々木大輔が担当しました。
本文は、遠野市立博物館で申請をすれば閲覧ができる他、GAME OF THE LOTUS PROJECTのDiscordでも取り扱っています。「研究&勉強チャンネル」にお越しください。https://discord.gg/D2DFUPxEgg